かっこいいよね、連接車。 ( 愛知編 )
愛知編と銘打っていますが、別にシリーズ化するとかそういうのではないです。
ひとつ前の記事、名鉄旧600V線区探訪のついでに愛知県に眠る連接車2編成に会いに行ってきました。
①岡崎南公園にて
岡崎南公園には、かつて名鉄揖斐線などで活躍していた名鉄モ400形401号が保存されています。
この名鉄モ400形は、古くは鉄道が谷汲まで延伸開業されたときに美濃電気軌道が導入した「セミシ64形」に起源を有する車両です。
後年、導入当時は4軸単車だった車両を2両つなげて連接・ボギー化したというトンデモ電車だそうで。他所から貰った戦前の路面電車を連接化して60km/hでかっ飛ばさせていたどこかの会社に近いものを覚えますね。
改造して連接化した編成中間部。当時のトンデモ技術力が垣間見えます...。
この連接化改造により1両当たりの定員が10名も増えたそうで、また4軸単車時代よりも安定性が増して現場からは好かれていたようです。
しかしながら改造費が割高となること、同時期に他線区で余剰となった大型車がいたことから結果としてこの連接化改造は401号のみにとどまってしまいました。
しかし後年、岐阜市内線系統にはモ770形・モ800形という連接車が導入され、さらにその前には輸送力強化の名目で札幌市よりA830形 (モ870形) を購入しています。
歴史に「もし」を投げかけるのはいささか野暮なものかもしれませんが...。もっと連接化改造が進んでいたら。もっと魅力的な電車が生まれていて、輸送力にものを言わせて一大勢力になっていたら...。岐阜市内線の未来も、少し変わったものになっていたのかもしれませんね。
さらに同線区を走ることになるモ770形の設計思想に、この電車が少しだけ影響してるのかもと思うと...。
福井にまた行きたくなっちゃうな。
最終的にこの電車が線路を離れるきっかけとなったのは、瀬戸線に新型車を導入するにあたって玉突き転属で大型の電車が移ってきたことによります。その時瀬戸線からやってきた電車こそ、ひとつ前の記事で取り上げたモ750形に当たるんですよね。
別に大したことじゃないけど、少し探偵をしている気分。
保存車巡りはこういうところがやめられない。
②レトロでんしゃ館にて
名古屋市交通局日進工場に併設される形で「レトロでんしゃ館」とよばれる保存施設があります。
中には名古屋市電時代の路面電車や、黎明期の地下鉄車両が保存されていました。
その中でもひときわ目を引く(当社比)のがこの名古屋市交通局3000形3003号。
一見すると近代的な車両に見えますが、製造年は驚異の1944年。
戦時中の輸送力強化を目的とし、特別に資材が割り当てられ製造されていたようです。
この文面も...某島電鉄の某650形で聞いたことがありますね。木南車両らしい前面窓の割り方も、どこどなく似ているように思えてきます。
こちらの3000形は当初より連接構造で製造されているだけあって、しっかりとした作りをしているように思えました。
室内灯が点いていなくとも、大きな側窓から差し込む光で車内はとても明るかったのでしょうね。こんな電車が1940年代から名古屋の街を走っていたと思うと。
見てみたかったの一言に尽きます。いいなぁ...。
聞く話によると、落成当初はおでこにライトがついていたそうで。
そうするとますます650形に似た出で立ちをしていたのかな。
結局この3000形は1970年までに全車が運用を離脱。現存するのはこの3003号だけ。
3000形の製造後、名古屋市交通局はさらなる輸送力強化のため大量の2軸単車から部品をもぎ取って2700形を製造したようです。驚き。
計画の中では2700形は3連接化も視野にあったらしく、もし3連接車が落成していればそれはそれは壮観だったでしょうね..。
レトロでんしゃ館には3000形の他に1400形1421号、2000形2017号が保存されています。どちらも「名古屋市電」を象徴する車両で見ごたえある施設でした。
また近年になって倉庫代わりに使われていた1900形電車の修繕も行われているとのことで。名古屋の路面電車史をもう少し紐解いてみたくなりますね。
そういえば別の機会に名古屋市科学館を訪れていたのですが、ここでも電車を見かけていました。
都電、大阪市電とは異なりすでに全車が軌道を離れている名古屋の路面電車。
数少ない保存車から記録を辿り、繁栄していた頃の面影を。
P.S.
ちなみにこれらの保存車を巡っていたため谷汲到着が日没後になったのでした。
次は車をかっ飛ばさなくていい旅程を考えたい所ですね。余裕がある大人になりたい。
今回のお気持ち表明には以下のサイトさんにお世話になりました。よければ合わせて是非!